その“正しさ”が、あなたを苦しめていませんか?

2025年、世界経済フォーラム(WEF)が発表したジェンダー・ギャップ指数で、日本は148カ国中118位という結果となりました。
このニュースに触れ、「やはり日本は遅れているのか」と感じた方もいれば、「そこまで悪い国なのだろうか?」と違和感を抱いた方もいらっしゃるかもしれません。

倒産ホームランプロジェクトもまた、後者の立場から、ひとつの視点を提示してみたいと思います。


まず、誤解のないように申し上げておきたいのは、倒産ホームランプロジェクトは、西洋的な価値観そのものを否定する意図はまったく持っていないということです。

むしろ、リベラル・デモクラシー、人権思想、法の支配、個人の自由や平等といった概念は、近代以降の世界にとって極めて重要であり、多くの人々の苦しみを和らげてきた尊い成果であると考えています。
現代日本の豊かさや自由もまた、その価値観の恩恵にほかなりません。


しかしながら、倒産ホームランプロジェクトが問題提起したいのは、その価値観が「世界標準」として唯一の正解のように語られること、そしてそれが、異なる文化や社会構造を持つ国々に対して「遅れている」「劣っている」というレッテルを貼る道具になってしまっている現状です。

この構造には、かつて武力で行われた「領土的支配」と似た、“思想の支配”=価値観による征服の匂いを感じざるを得ません。


「多様性」という言葉が、今や世界中で語られるようになりました。
しかし本当の多様性とは、自分の信じる価値観を尊重しながらも、他者の価値観の尊厳にも謙虚であることです。

一つの基準で「上」「下」「進んでいる」「遅れている」と序列をつける態度は、実のところ、多様性とは真逆のものです。


たとえば、ジェンダー・ギャップ指数で評価されるのは、政治参加や経済活動における男女比率といった数値的平等です。
これは非常に明快な指標であり、グローバルな比較には向いているでしょう。

しかし、その前提にある価値観は明らかに西洋的であり、「男性も女性も同じように働き、同じようにリーダーになる社会こそが理想」という思想が強く内在しています。

では、仮に「家庭での役割分担こそ美徳」と考える社会があった場合、あるいは「違いを活かして支え合うことに重きを置く」文化があった場合、その社会は“劣っている”のでしょうか?
“改善すべき後進国”なのでしょうか?


倒産ホームランプロジェクトは、その問いに「NO」と答えたいのです。

「違っている」ことと「間違っている」ことは、まったく別の話です。
そして「正しさ」とは、時代や文化によって変わるものでもあります。

むしろ本当に問題なのは、「自分たちこそ正義だ」「これこそが真の進歩だ」という傲慢さではないでしょうか。

倒産ホームランプロジェクトが批判したいのは、そうした傲慢さに無自覚なまま、世界中の価値観を塗り替えていこうとする野蛮な優しさです。


実はこの構造は、私たちが日々直面している「個人の苦しみ」にも通じています。

たとえば――
「借金は返さなければならない」
そう教わってきた人は多いでしょう。
法律的にも、道徳的にも、それは“正しい”とされます。

しかし、その“正しさ”によって、どれほど多くの人が心をすり減らしているか。
自分を責め、家族を犠牲にし、希望を見失っていく姿を、倒産ホームランプロジェクトは見てきました。


今ある“正しさ”が、あなたを苦しめているなら、その“正しさ”を一度疑ってみてもいい。

これは、道を外れることでも、倫理に反することでもありません。
むしろ、自分自身の人生を、自分の足で歩むための勇気ある問いかけだと信じています。

他人が決めた「世界標準」に無批判に従うのではなく、自分自身の経験と直感、文化と誇りに基づいて、「自分にとっての“正しさ”とは何か」を見つめ直す――
それは、個人にも、国家にも求められる営みではないでしょうか。


倒産ホームランプロジェクトは、他人の基準ではなく、自分の再起を生きたいと願う人たちを、全力で支援しています。
返せない借金に苦しみ、「これしか道がない」と思い詰めたとき、その“思い込みの正しさ”を、一緒にほぐしていくお手伝いをします。

生きる方法は、ひとつではありません。
そして、正しさもまた、ひとつではありません。

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